• Magazine>
  • >
  • #6 奈良店スタッフ奥口の「私とNAOT」

#6 奈良店スタッフ奥口の「私とNAOT」


 
NAOTの靴との出会い。
 
NAOTの靴と出会って知ったことや、感じたこと
そして変わったこと。
スタッフそれぞれにもその歴史があります。
 
第6回「私とNAOT」は、
勤続5年目となる奥口さんにインタビュー。
 
東京でシステムエンジニアとして働き、充実した日々を過ごしていた彼女が、
なにキッカケに奈良へ移住し、NAOTと関わるようになったのか。
そして、転職してから4年の月日が経った現在、NAOTとはどういう存在か。
ぜひご覧ください!
 
 

 
ー 東京でバリバリ働いていた時期に、なぜ転職を決意し、奈良に移住を?
 
決意したというより、自然な流れ、ご縁だったのかも。
というのも、転職活動をしたわけではないので。
 
…話せば長いんですけど、そもそもは
2012年のフジロック(音楽フェスティバル)で、
宮川(弊社代表)と知り合ったのがキッカケです。
 
とにかくその場は、みんなで騒いでご飯食べて、すごく楽しくて。
じゃあバイバ〜イってなった時に、
チラッと「風の栖っていうお店やってるねん。」って
言われたのが、なぜだか気になったんです。
 
人となりが知りたくなったんですよね。
当日も半日くらい遅れて、ふわ〜っと登場して「寝てたわ〜」って(笑)
何してるんだろうこの人は?と思って。
 

 
帰ってから早速、風の栖のホームページを調べたら
週3・4回更新していた「日記」というカテゴリーがあって。
まさに日常を綴ったページだったんですけど
その言葉のチョイスと素敵な写真にものすごく惹かれたんです。
 
気付いたら、お昼休みに“更新されてるかな〜”と
心待ちにする存在になっていましたね。
 
次第に、NAOTの靴も気になりはじめて…。
それまで、仕事柄パンプスを履いていたんですけど、
私は幅周りが少し広いこともあって
今から思えば、実際のサイズより大きめを買っていて。
 
当時はそれがジャストサイズだと思っていたんですけどね。
革が伸びてきたらカパカパしてもう履けない。
で、また新しい靴を買う。といった感じでした。
 
だから、NAOTの“革靴をケアしながら長く履く”っていう
考え方に惹かれて。あ、いいな〜って。
最初にかわいいなと思ったのがマルタでした。
このステッチが特に!!

 

 
当時もオンラインショップで購入できたんですけど
できることなら実際に履いてから買おうと思っていました。
 
とはいえ、取扱店もホームページにはのってないし
東京だとどこで買えるのかすごく探したんですよ。
唯一の情報源が、たま〜に更新されるツイッターしかなくて
見逃さないように、毎日チェックしたりして。
…なんかものすごい興味もって、追っかけてました(笑)
 
 

ー 風の栖には連絡せずに?
 
このとき初めて連絡しました。
ちょうど、吉祥寺にあるお店でNAOT展(受注会)があるのを見つけたので
「実はNAOTの靴に興味があって、今度NAOT展に行きます。」って。
そしたら「うれし〜!ありがとう〜!」みたいな感じで。
 

 
それで、NAOT展に行ったらあったんですよ、マルタが!
実物を見て“ウキッ!”ってなりましたよ〜。
もう絶対この子を連れて帰る!って決めていたんですけど
実際に履いてみたら、私の足にはやっぱり少しきつく感じて。
 
どうしようかな〜と思っていたら
店主さんがちょうどマルタを履いてて、
もうそのクタクタ感がたまらなく可愛くって!!
 
男性の店主さんだったんですけど、
「足馴染みがいいから大丈夫ですよ。」って話してくださったので
じゃあ大丈夫だ!って安心して、お迎えしました。
 
今となっては、マルタが相棒のようになっています。
それまで、日常はスニーカーだったんですけど
出かけるとすぐに疲れて、お茶しよう。休憩しよう。という感じで。
 
靴ってそういうものだと思ってたんですけど
マルタを履いてからは、一日中歩き回っても大丈夫でした。
気づいたら、あれ、もう夕方?みたいな。
 

 
あ、ここでようやく、転職のキッカケがやってくるんです。
 
ー あ、やっとですか!(笑)で、どんなキッカケですか?
 
ある日、突然「風の栖で働いてみない?」って連絡をいただいたんです。
その時は「えっ!えぇぇ!?」って思ったんですけど
話を聞きたくなって、次の休みにすぐ奈良へ行きました。
SNSで繋がっていたので、
私の発信する写真や言葉に共感してもらえたのかなと。
 
忘れもしない2013年の3月1日。
奈良に到着して
ならまちを歩いて“なんかいいかも”って。
お店を訪ねて、お話しして“あ、いいな、いい!!”ってなって
二つ返事で、その場で「やりたいです!」って言ってました。
 
それで、東京に帰って当時の職場の上司にもすぐに辞めたいですって相談して。
その年の6月にNAOTに入社しました。
 
 
ー すごいご縁というか、決断ですね!なにが決め手だったんですか?
 
私自身、関東で生まれ育って、東京の大学を出て、
東京でずっと働くつもりだったから、転勤のない職種を選んで入社したんですよね。
その頃、そろそろ中堅と呼ばれる時期で、日々充実していたし。
まさか転職して、初めての土地、奈良に移住するとは、夢にも思わず…。
悩んだんですけど、ここらでちょっと、という思いもあり。
 
29歳という年齢もあったのかも。
この先、どうやって生きていこうかな〜とか考えていた時だったし
一緒に働いて欲しいって言われることって、
生きていてそんなにないじゃないですか。
ましてやそれが自分が履いている靴の、気になっていたお店で。
今なんじゃないかな、と。
 
つい色々考えちゃいがちだけど、
素直に働いてみたいなと思えたから。
 

 
 
ー 入社して4年が過ぎましたが、実際に働いてみてどうですか?
 
人生が大きく変わりましたね。
 
仕事の幅でいうと、それはもう計り知れないです。
まず、接客自体も初めてでしたが、
カタログのデザイン(DTP)なんかも、やったことなかったんです。
でも「興味あります、やってみたいです」って言ったら、担当させてもらえたり。
興味があるとはいえ、まさか主担当になるとは、ビックリでしたけどね(笑)
 
自分の好きが形になるってすごく楽しいですよね。
カタログを持ってお店に来てくれた人をみると、とても嬉しいです。
欲しい靴をそこから選んでくれたりして。
自分の作ったモノが人の手に渡って
さらに、行動を起こさせるなんてスゴイ!って毎回感動しています。
 

 
 
ー 風の栖のオリジナルハーブティーのイラストも描いてますよね。
 
そうなんです。あの絵も、「描いてみたい」って言ったら
「じゃあやってみなよ。」って、当たり前のように返ってきて。
 

 
あと、考え方も変わってきました。
モノを大事にするという感覚がそれまではなかったんですけど
一生モノが欲しいな、って思うようになって。
そのタイミングで出会ったのがマルタだったり
風の栖に置いてある作家さんの器だったり。
靴はお手入れして何年も履き続けるのが当たり前になりました。
 

 
器は好きな作家さんのをちょこちょこ集めてるうちに、
好きが加速して、陶芸を習いにいったりして。
食事って、日々のことだし、せっかくなら
テンションの上がる、お気に入りの器で食べたいんです。
 
洋服も雑誌を読んでトレンドを追ってたけど
今は心地の良いものを選ぶようになりました。
テレビもあんまり見ないです。
というか、家にテレビを置いてない(笑)
 
人間らしいというか、ゆっくり自分を見つめ直すというか。
余裕ができたのかも。
ありがたいことに自転車通勤なので、
終電まで働く、なんてこともないですしね。
ならまちは日が暮れるとほんとにお店も閉まって、
町中のあかりが消えて、人間らしいです、うん。

 
 
ー お店の営業時間も、日没まで、ですもんね(笑)
ちなみに、マルタの次はどのNAOTをお迎えしたんですか?

 
風の栖が、脱ぎ履きの多い職場環境というのもあって
サボを何色か揃えました。
色によって、印象がまったく変わるので
朝のコーディネートに何色かあるとすごく便利ですよ。
 
どの子も、もう3〜4年選手です。
いい感じにクタクタになってきて、愛着は増しますね。
サボに名前をつけたりして、自分なりに楽しんでます。
 

 
ー 最後に、奥口さんにとってNAOTとは、どういう存在ですか?
 
なんだかここにいるだけで、旅をしている感じです。
毎朝、今日は何が起きるかな?って
ワクワクしながら出勤してますね。
毎日見ている景色が違うし、1年後も同じ景色かっていうと、
まったく違って。
 
入社した時は、風の栖だけでしたが
NAOT TOKYOができるという話を聞いて
「え、東京店?」と思ってる間に、オープンして
その1年後にはNAOT NARAがオープンして…。
何かが大きく変わっていくのを体感できる場所でもあります。
 
どんどん、次のステージに進んで行く感じがたまらないですね。
これからも、みんなでどんどん新しいこと、楽しんでいきたいです。
 

 
ウフ。
 
 
ー これまでの「私とNAOT」 ー
#1/#2/#3/#4/#5
 
 

スピーカー ( 奥口 )

インタビュアー・
編集 ( 脇阪 )


その他の記事

戻る

pagetop