わたしは「ずっと」という言葉を使うことを
なんとなく避けてきた。
ずっと実家にいるんだろうなと思っていたのに、
突然実家を飛び出して友達とルームシェアをしてからの、一人暮らし。
ずっと海が好きでダイビングに夢中になったかと思ったら、
今は全然やらなくなって、反対によく山に登るようになっている。
ずっと東京にいたいなあ!と思って、転勤のない仕事を選んだのに、
転勤どころか、会社を辞めて奈良にきてみたり。。。
クローゼットの中身も20代とは全然ちがう。
わたしの「ずっと」はいつもあてにならない。
小さい頃、家の周りにたくさんあった鋳物工場も
今ではほとんどが高層マンションに変わってしまった。
ずっと変わらないと思っていたものが変わってく。
ずっと近くにあったものがそうじゃなくなるのを
寂しく思っていた時期があったっけ。
だから、なんとなく、「ずっと」を使うことを避けてきたのかもしれない。
それでも気づいたらずっと変わらないものもある。
ずっと使っている器
ずっと履いていきたい靴
ずっと一緒に笑い合ってる仲間
もちろん海も山も…自然が大好きなことは変わらないし、
旅もやめられない、お味噌汁と白いごはんが大好きな、わたし。
そして、いま、わたしのいる奈良も「ずっと」がある場所だ。
ずっと履いていきたいな、と思ったNAOTの靴が連れてきてくれた場所でもある。
1000年以上前からそこにある古いお寺や神社、
東大寺の大仏様はいつも圧倒的な存在感で見守ってくれている。
春日山の原始林もきっと遠い昔と景色はそう変わっていないのだろうなあ…
ちゃんと自分の周りを見つめなおしたら、
いまもちゃんとある「ずっと」がいっぱい。
私はそんな「ずっと」が大好きだ。
私も誰も「ずっと」は約束できないし、「ずっと」おんなじではいられないもの。
それでも、未来のことはわからないけれど、
これからもそんなモノ ・ コト ・ ヒトに出逢いたいし、
ずっとずっとそれらを大切にしていきたい。
それは、いま、私がそう思う 「ずっと」 でいいんだろうな。