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NAOTが出会った「はたらくひと」#2 写真家 大沼ショージさん


 
NAOT × はたらくひと の連載 第2弾 は 写真家の大沼ショージさん!
 
実は NAOT TOKYO と同じ楠ビルに「カワウソ」という事務所を構えるご近所さん。
今までも私たちのお店で写真を展示くださったり、カタログブックレットに掲載する写真の撮影でも、お仕事をご一緒させていただいている NAOTとも親交の深い写真家さんです。
 
そんな 大沼ショージさんを訪ねて「カワウソ」の扉をノックノック !
お話を伺ってきました。どうぞご覧ください。
 
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ーショージさんが写真をはじめたきっかけって?
 
写真関係の仕事をしていた祖父から、カメラを譲って貰ったのがきっかけかな。
 
学生の頃、”青春18きっぷ”って18歳の時にしか使えないと思っていたのね。
ずーっとそれで旅をしたいと考えていて…
いざ自分が18歳になった時、いよいよ行ける!という感じで、意気揚々とそのカメラ片手にローカル電車の旅に出たの。行き先は…金沢だったかな?
 
なかなかね、あのときの写真を思い出すと一番良かったんじゃないかって、今でも超えられないんじゃないかって思っているんですよ。
ああしようこうしようとか、何かのために写真をとるとか、“◯◯のために”っていうのがなく、ただ無心でシャッターを押して撮った写真っていうのはね。
 

 

ーそれからは写真街道まっしぐらだったんですか?
 
いやいや、全然! 最初は絵だったんです。それで美大も受けたし。
とにかく手作業・手仕事が好きなんだよね。
絵も描くけど、手芸もしていたし、お菓子やパンもよく作っていました。
 
ある日、鎌倉考古学研究所の発掘団員のバイトに誘ってもらってね。
そこが借りていた古い蔵がスタジオでした。そこで教えて貰いながら撮影の仕方を覚えたの。
みんなが帰ったあと、その蔵でよく出土品の撮影をしていましたよ。
 
発掘の仕事は土を触るんだけど、やっぱり土には惹かれるものがあって陶芸もやっていたし….
 
そうそう、映画もやりたくてやってみたんだけどさ。でも、私は団体行動が苦手でね。
一人で完結できる仕事が自分には合っているなと思った。
 
だから撮影からプリントまで最後まで自分でできる写真に惹かれたのかも。ちなみに、写真プリントの技術はこれまたバイト先の逗子の写真館で遺影写真づくりを通じて学んだんですよ。
 

 
 
ーすごい…!! 本当になんでもやってきているんですね。
 
うん、やりたいね。なんでもやってみるし、やりたい!
いっぱい失敗もしたけれど、無駄なことは一切ないと思っているのでね。
全部、今の仕事にも活きていますから。
 
2018年のカレンダーも作ったのですが、これも一枚一枚 活版で手刷りしているんですよ。
包み袋も全部、コツコツ、自分で作ってますから。ほらね。
 

 

ー最終的に写真に行き着いたのって? なにか入り口があったんですか?
 
徐々に、ね。正直なろうと思ってなっていなくて。
はじめからフリーランスだったけど、写真一本でやりたくないって思っていたから、実は写真家宣言とかはしていないんだよね。決めたくなかったんですよ、職業を。
あれもやりたいこれもやりたい ! ってね。欲張りで。
 
そんな感じでやっていたら、昔、誰かに言われたんだよ。
「あなたの看板は大沼ショージだよ」ってね。
 
 
ー自分が看板!
 
そう。それがしっくりくる。
実際色々やっているし、その中の一本の大きな柱が写真という感じでやっています。
 
あとは旅に出る理由だったんだよね。
写真をはじめるきっかけにもなった「旅」が好きだったからかもな、写真を選んだのは。
 

 

 

ー 今でも撮影や展示などで各地を旅するように飛び回っていますもんね。
 
ずっと同じところにはいれない性分でね。これは昔から(笑)
 
小さい頃、親の言うことを聞かないと「サーカスに売るぞ!」って怒られなかった?
でも私は、「ええ!喜んで!」っていう感じの子供だった。
サーカスに入ったら、日本全国、世界中、知らない場所にいけるでしょう?
 
面白かったよね。大人になるにつれて行動範囲が広がっていって。
最初は徒歩、次は自転車、バイク、車、電車、飛行機、って世界が広がっていく。

 
私の場合、カメラはコミュニケーションツールなんです。
昔から本当に人と喋るのが苦手だった。
人と対自して、そこにレンズ一枚はさむだけで、成立するコミニュケーション。
潤滑油になってくれるんですよ。
 
みんなそうだと思うんだよね、それがお店だったり、器だったり、パンだったりする。
私にとってはカメラが、写真が、そんな存在でした。
 

 

ー影響を受けたものってあるんですか?
 
写真でいうと、やっぱり昔の記録写真 かな。
町とか人の昔の写真ってあるじゃないですか、モノクロの、戦前戦後の記念写真や家族の何気ない日常、当時の素晴らしい建築物の写真。
銀座の街並みとか…そういうのが好きでしたね。
私が銭湯とか廃墟を記録として写真に残してきたというのはそういうところからかも。
 
カメラって一番最初は記録用に作られたものじゃないですか。
なくなっていくものに異常に興味というか、惹かれた時期があったんです。
 
だからモノも集めちゃうんだろうねえ!拾っちゃう(笑)
カワウソにある家具は結構そういうモノが多いよ。まずその椅子!黄色いワゴンも棚も、全部拾ってきたものだし。捨てるって言ってた活版印刷機をなかなか捨てられないおじいちゃんから受け継いだりとか、ね。
 

 
使命と言ったら大袈裟だけどね。
記録しなきゃという想いと、それを残しておきたいっていう気持ちが強い。
それは自分の作品にも反映している気がします。
 

 
ーこれからもやっていきたい?
 
そうだね。
東日本大震災以降かな、やっぱり。そういう想いがさらに強くなってね。
 
各地に散って行った大好きな友人たちに会いに行ったんだよね、カメラも担いでさ。
そしたら、友人がそのまた友人を連れてくるんですよ。
 
「ショージさん、写真撮って!」って。
 
 

 
 
その日、その場所で、偶然出会った人たちの ”その時” を写真に切り取る。
それが土地土地の人々を写真におさめる「移動写真館」というのをはじめるきっかけになった。
北は北海道から南は沖縄までいってきましたよ。

 
その時の家族の形。
それってその瞬間だけのものだし、二度とないじゃないですか。
それはヒトでもモノでも同じことだと思う。
 
そういうのを、撮りつづけていきたいよね。

 
 
 

 
 

 

▲「撮影は脱ぎ履きが多いから、仕事中は大概サボだね」と、ショージさん。IRIS Crazy HorseMatt BlackWhiteの3色をその日の気分で履き分けているんだとか。近所での撮影には自転車で軽快に出掛ける事も多いのだそう。そんな時の足元もサボ ! いい風合いに育ってます。

 
 

URL : www.outotsusha.info/
 
 
 
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’17 12/15 fri.〜 12/24 sun. 大沼ショージ写真展「キャラバンはつづくよ、どこまでも。」
 
 

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