• Magazine>
  • >
  • あらためて、NAOTのこと vol.2

あらためて、NAOTのこと vol.2


 
私たちがご紹介しているNAOTの靴。
今回あらためて「NAOTのこと」について、代表の宮川と、ベテランスタッフの服部を交えてお届けします。
3回シリーズの第2回目のテーマは、「私たちとNAOTの出会い」。
ぜひご覧ください。
前回はこちら>> vol.1
 
ーーーーー
 
はじまりは、風の栖から
 

 

木村
私たちがお取り扱いを始めたのは、いつ頃からなんでしょう?

 
宮川
元々は姉妹店「風の栖」で紹介していた商品の一つだったんです。
幅広甲高の足で、なかなかしっくり来る靴が見つからなかったスタッフの村上が、20年ほど前に展示会で見つけたのがきっかけで。

 
服部
村上から「この靴は私を救ってくれた」って聞きました。
それくらい衝撃の出会いだったみたいですね。

 

IMG_1287a
#1「私とNAOT」より
 

宮川
それからお取り扱いがはじまり、しばらくして日本の仕入先が輸入をやめることになったんです。

 
木村
日本に入ってこなくなってしまって、その時どうしたんですか?

 
宮川
当時日本に在庫があるだけ仕入れたんですけれど、それもすぐに売れてしまって。
その時にはすでに風の栖のお客様にとても人気の靴になっていたので、「ぜひ、もう1足」という方にお渡しできない状態で。
そこで、何とか自分たちで輸入できないか?と考えました。
もともと僕は貿易関係の仕事をしたことがあったので、「一か八か、コンタクト取ってみようか」と、自分でイスラエル本社にかけあうことに。

 

 

木村
かけあってみて、どうでした?

 
宮川
何度もやり取りをして、やっと仕入れられることになったんです。それが2009年のこと。
当時はお金が本当になくて、全財産をはたいてやっと1ケース分(16足)を送ってもらったんです。デザイン展開はサボ茶色、Walnut1色だけ。
そこからNAOTとの付き合いが本格的に始まりました。

 

 

宮川
風の栖の中の1ブロックを借りて、靴を並べて、在庫は階段のところに置いて。
最初の16足が完売したとき、すごく嬉しかったのを覚えています。
待っていてくださる人がいて、届けられる喜びがあって。
当時はちょうど3年半の世界旅行から帰って来たところで、自分の仕事がまったくなかったところからの出発だったので、誰かのためになっているという喜びもひとしおでした。

 

この靴を履いて、たくさん歩いてほしい
 

△風の栖での様子(2013年)
 

服部
そこからちょっとずつ数を増やして、扱うデザインも増えていきましたよね。

 
木村
今では当たり前のように色んなデザインが並んでいますが、新しいデザインを増やす時に、大事にしていることはありますか?

 
宮川
「たくさん歩くための靴であってほしい」という気持ちはずっと大切にしています。
というのも、取り扱い始めた当初、僕の原点となる出会いがあって。

 

木村
そのエピソードって?

 
宮川
ある日、大阪の堺からやってきたおじいさまがいて。
ふらっと入ってくるなり『値切ってくれ』『おまけ付かへんのかい』と色々言いつつも(笑)、最終的には購入してくださって。
なんかちょっといじめられた感じやわー、なんて思っていたら、後日、お手紙を持ってお店に来てくださったんです。
手紙には「この靴に出会えたおかげで、駅からお店までの距離を歩けたんだよ。たくさん歩けるようになったのが嬉しかった。ありがとう」とあって。

 
服部
その方、実は生まれつき足が悪かったんですよね。

 

 

宮川
感謝を伝えるために、わざわざ手紙を書いて持ってきてくれるなんてね、ジーンと来てしまって。
当時は日本の総代理店になって間もない頃で、とても不安だったんですけど。
それを読んだときに、僕らは間違ってなかったんやって、そう思えたんです。

 

木村
その原点があって、たくさん歩けること、長く使えることを大事にしているんですね。

 
宮川
はい。たくさん売れるとか売れないとかいうことではなく、お客さま一人ひとりが喜んでくれるような靴を大切に届けることこそが、僕らの仕事なんだと思います。

 

 
 
次回はいよいよ最終回!
「私たちが大事にしていること」をテーマに、明日お届けします。


その他の記事

戻る

pagetop