4月からお届けしている「ねことくつ」にまつわるコラム。
ねこも、くつも、一緒にいる時間が長くなるほど、お互い馴染んで、いつの間にか相棒のような存在になっていくもの。
第一回は、シンガーソングライターの山田稔明さん。
これまで暮らしてきたねこ達のことを、歌や本にのせて届けている山田さん。
NAOTでは、毎年恒例の東京ライブやコラムの寄稿など、たくさんお世話になっています。
今回は、中編をお届けいたします。

猫の履歴書、靴の履歴書 -中編-
ポチ実。今一緒に暮らしている三毛猫は今年の秋で6歳になる。2014年の9月、先代猫ポチが天国に昇ってペットロスで意気消沈する我が家の小さな庭に突然現れた彼女は、白黒茶色の羽衣を着た野良の天使だった。ポチと同じ縞三毛模様、特定の神様を持たない僕にだって生まれ変わりだと思わない理由はなかった。あまりにそっくりなので「ポチ似ちゃん」と呼んでご飯やおもちゃで誘った。この猫は僕と一緒になる運命の猫なのだ、と仕事もすべて投げ打って1週間の長期戦が始まる。
生後3ヶ月くらいの仔猫の小さな頭の中では警戒心と好奇心がせめぎ合って後者のほうが勝ってしまう。「Curiosity killed the Cat=好奇心は身を滅ぼす」とはよく言ったものだ。贅沢を極めた美味しいご飯とスナップを効かせた僕の猫じゃらしに釣られて、ついに僕の両の手でワシっと捕まえられ、彼女の自由奔放でその日暮らしの気ままな放浪生活は終焉を迎えたのだった。でも大丈夫、これからの暮らしのほうがずっと幸せだから安心しなさい。君の正式な名前は…、「ポチ似」から転じて「ポチミ」、体の模様が木の実を食べるリスみたいに見えたから、「ポチ実」。山田ポチ実ちゃん、これからずっとよろしくね。
さて、それから愛猫との仲睦まじい甘い生活が始まったかというと、意外とそうでもない…。刷り込み(インプリンティング)というのは動物の生い立ちのなかで特定の物事がごく短時間で覚え込まれそれが長時間持続する学習現象で、子ガモが最初に目にしたものを親だと思い込んで後をついて歩くのもそれだ。あの日以来、ポチ実にとって僕は「アタシの自由を奪ったオトコ」である。その刷り込みが5年経った今もかわらないのが面白い。もちろん朝ごはんをねだって鳴いたり、遊びたいときはすり寄ってきたりするけれど、言うなれば思春期の娘と父親みたいな微妙な関係。お小遣いは欲しいけど、父親はウザい。寒い冬の朝に一度だけ僕の布団に入り込んできたことがあって、それでも僕の顔を見たら「あっ!」という顔をしてすぐさま飛び出していくくらい彼女の態度も徹底している。
僕は職業柄ライブやツアーなどで家を留守にしがちなので、旅から戻ってポチ実と対峙するときはいちゃいちゃするチャンスだ。数日寂しい思いをした彼女は人恋しさが募って僕に鼻を擦り付けてくるから、僕も抱きしめて何度も「チミ、ミー、チミちゃん」と名前を呼ぶ。しばらくすると照れくさいような、バツの悪そうな顔をするポチ実がまた可愛い。成猫になってもどこか仔猫みたいなところがあって、先代のポチは僕にとって妹だったけど、ポチ実はやっぱり娘みたいに感じる瞬間がある(普段は兄妹という設定なんだけど)。
ポチとは東日本大震災を一緒に経験した。ポチ実とはまさに今このとき、新型コロナウィルスのパンデミックという未曾有の季節をともに過ごしている。僕は4月に入って自主的ロックダウン、緊急事態宣言発令下ですべてのライブが中止、NAOT TOKYOで続いてきたアニバーサリーイベントも延期となってしまった。もう2ヶ月近くも四六時中ずっと家にいる主人のことをポチ実が退屈そうな目で見つめているのを僕は知っている。人にも猫にもプライベートな時間が必要、適度なディスタンス、ふたりの距離を測っているところ。トムとジェリーみたいに仲良くケンカしながら暮らすおうち時間も楽しいけど、早くこの難しい時間が通り過ぎることを僕もポチ実も願っているところ。
ポチ実が庭に現れて捕獲するまでの1週間、僕はNAOTのサボを庭の軒先に用意して、彼女が姿を現したときにいつでもそれを履いて駆け出せるようにしていた。僕にとっての2つめのNAOTがそのサボだ。ツアーに行くときはワゴンにサボを放り込んで一緒に連れていく。もういくつの時間と距離を過ごしただろうか。猫は旅に連れていけないけれど代わりにこれからも靴をお供にすることになるだろう。早くライブがしたい。

きみは三毛の子 from『DOCUMENT』