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きみがいるから明日も歩ける #4 / ものすごい愛

 
ものすごい愛さんのエッセイ、第4話。
 
札幌在住、エッセイストでありながら、薬剤師。
そして実は、NAOTの靴のご愛用者のひとりでもあるのです。
 
生活って、楽しいんだけど、めんどうくさいこともある。
革のお手入れもね、やらなきゃと思うと、めんどうになります。
 
「こうしなきゃ」から、自分を解放してあげたいぜ。

 

#4


 
わたしは、いつだってご機嫌に暮らしていたい。
だから、やりたくないことはできる限りやりたくない。
 
しかし、ただのほほんと過ごしていたところで、誰かが勝手に面倒事を引き受けてくれるわけでも、一方的に望んでいるものたちが与えられるわけでもない。
なんでもかんでも面倒事を夫に押し付けるのはよくない、ということも理解している。
だって、それだと夫がご機嫌に過ごせなくなってしまうから。
相応の努力と妥協は致し方ない……と飲み込みながら、やりたくないことをそれなりに避けつつ、だからといって何もしないわけでもなく、お互いがご機嫌に暮らせるいい塩梅を見つけることに、わたしは日々余念がない。
 
日常生活は、その見極めの連続だ。
わたしは、家事が大嫌いだ。
カッコつけるわけではないが、決して苦手でできないというわけではない。それなりにそつなくこなせるし、合理的な性格も相まって上手なほうではあると思う。しかし、好きなことと得意なことに必ずしも相関性はない。
家事が嫌いな理由はなによりも面倒くさい。ただその一点に尽きる。
 
理想を言えば、毎日のように家事代行サービスを頼みたいところだが、そんなのは経済的に追っつかないのでとてもじゃないが現実的ではない。だから、楽できそうな部分はとことん手を抜いて生活している。
料理に関して言えば、毎回台所に立って一から手作りなんてしない。火を通した肉と野菜を和えるだけのタレ的なやつを多用し、一度に大量にこさえては作り置きしたものを食べ続ける毎日。
掃除だって、「そろそろ汚くなってきたな……」と感じたら簡単にほこりを払って掃除機をかける程度で、毎日隅々までピカピカに磨き上げるなんてことはできない。なんてったって時間をお金で買うという大義名分を掲げ、様々な便利家電に頼りきりだ。「これはわたしがご機嫌に過ごせるために必要経費だ」という強い暗示によって、財布の紐は緩くなる。
適度に力を抜きながら必要に応じてやる、やりたくないときはやらない、破綻しない程度にお金で解決できることはそうする、というルールを厳守することは、いつだってご機嫌に過ごすためには必須なのだ。面倒事に時間を割きたくない。ずっとずっと楽しいことだけをしていたい。キリがないことにいちいち100%の力で臨んでなんかいられるか。
 
しかし、怠惰のプロであるわたしにも、どうしてもいいラインを見つけられないものがある。
それは、靴だ。
わたしは靴が好きだ。
デートのときはお気に入りのワンピースに合う靴を履きたいし、友達と遊びに行くときだってかわいい靴を履きたい。近所を散歩するときだって足が疲れないのがいい。
さすがに畑仕事をするときは長靴を、キャンプに行くときはサンダルやスニーカーを履くが、打ち合わせでちょっとかしこまる必要のある人と会うときなんかは革靴を履く。
なにより、かわいい靴を履いているとご機嫌でいられるので、ここだけはどうしても譲れない部分なのだ。
 
しかし、この革靴というやつは、かわいくて愛おしくてたまらないのだが、かわいさ余って憎さ百倍とでも言うのだろうか。 どんなに気をつけて大事に大事に履いていても、どうしたって汚れるし徐々に光沢は失われていく。
そもそも革は経年変化を楽しむものらしいから、愛情をもって手入れをしてこそ、色に深みが増して、味が出てくることで、履き始めたころよりも一生愛着が湧くということはわかっている。
ただ純粋に、慈しみの心を持ちながら時間と手間を費やす行為が、醍醐味だってことも、ちゃんとわかっている。
手入れを怠ることによって、革が痛んでしまい、そんな靴を履くことはわたしの人生のテーマである“いつだってご機嫌に過ごしたい”という願いが叶うはずがないことも、当然ながらわかっている。
わかっている、わかっているのだけれど……。
ただ、その……こんなことを言うとNAOTの靴を愛しているみなさんに怒られそうだが、正直ちょっとだけ、いや、かなり手入れが面倒くさい……。
手入れをしてやることで、より一層かわいく愛おしくなる存在なのに。でも、その手入れが、いったいどうして、面倒くさくてどうしてもやる気になれないのだ。
 
玄関からは、「もうそろそろじゃない?」「綺麗にしてほしいなーなんて……」「最近手に取ってもらってないけど?」などと、OLGA、KEDMA、REKAが顔をそろえてわたしに訴えかけている気配を感じる。
あ~なにも聞こえない。なにも感じない。気のせい気のせい。
少しくたびれた様子の靴たちを視界から遠ざけるように、シューボックスを静かに閉めた。
 
先日、お互いの休みが合ったので夫と買い物に出掛けることになった。
日用品の買い出しとは言え、久しぶりに夫と外出できることにウキウキしながら、何を着て行こうかと服を選んだり、珍しく化粧をしたり、いつもより念入りに髪の毛をセットしたりと準備していると、とっくに準備万端のはずの夫の姿が見えない。
なにやら玄関から音が聞こえたので覗いてみると、そこには大量の靴を並べて座り込んでいる夫の背中があった。
 
「なにしてるの?」
「見ての通りだよ、靴磨き」
「えーえらいね」
「君はほんとうにもう! 靴を大事にしないんだから!」
「え? 大事にしてるじゃん」
「いーや、してないね! こんなにくたびれるまで放っておいて! 前もおれが君の靴を磨いた気がする!」
「そうだったっけ?」
「そうだよ……まったく……」
そう呆れた表情を存分に披露した夫は、最後の仕上げに取り掛かった。
 
夫が磨いてくれてピカピカになったOLGAを履き、同じくピカピカになったDENALIを履いた夫とともに家を出る。心なしか、足元が軽い。
 
「ねぇ、やっぱりあなたはとても上手だね。靴の美しさがぜんぜん違うよ」
「まあね、そりゃあおれは君と違って革靴を心から慈しんで大事にする人間だからね」
 
まんざらでもなさそうな夫を横目で見ながら、いつだってお互いがご機嫌に過ごしつつ、やりたくないことを避けるラインを発見できた気がした。
 
夫を担いでやろうという邪な気持ちがないと言えば嘘になるが、夫のほうがずっとずっと靴磨きが上手なのは事実だから。
「靴を大事にできないダメダメなわたしのために、これからも頼むぜ」
そう言って、茶色いクリームで少し汚れた夫の手を取った。
 

△撮影:ものすごい愛
 

 
 
 



ものすごい愛
1990年生まれ。札幌市在住。エッセイスト・薬剤師。さまざまWEBメディアにエッセイ・コラムを寄稿。結婚をテーマにしたエッセイ『今日もふたり、スキップで ~結婚って“なんかいい”』(大和書房)をはじめ、『命に過ぎたる愛なし ~女の子のための恋愛相談』(内外出版社)、『ものすごい愛のものすごい愛し方、ものすごい愛され方』(KADOKAWA)が好評発売中。回転寿司では最初と最後にアジを食べる。

 
 

★DENALIが、3足を見守っているのです。
次回 6月上旬公開予定
どうぞお楽しみに。

 


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