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NAOTが出会った「はたらくひと」#18 Sunnynap 村松さん


 
私たちはこれまで NAOTという靴を通じて、多くの方との出会いがありました。
出会った方はミュージシャン、イラストレーターさん、文筆家さん、カフェ店主さん、作家さん等、それはもう様々なお仕事をされている方ばかり。
 
はたらく姿勢。はたらく理由。はたらく道具。はたらく仲間。人の数だけある「はたらく」にまつわるストーリーを聞かせていただきたいと思い、この企画がスタートしました。
 
 
連載 第18弾はNAOT AICHIのある愛知県犬山市を拠点に看板や店内装飾を手がける村松さんの「はたらく」について。
 
村松さんとNAOTの出会いは、2020年、NAOT AICHIの店舗のショップサインを依頼したことがきっかけでした。看板屋という枠には収まらないさんの村松さんの働くことについて、詳しくお話を伺ってきました。
 
たっぷりと読み応えのある回になっていますので、ぜひじっくりご覧ください。
 
 
 
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ーどこから始めましょう?看板屋さんを始めたルーツをまずは教えてください。
 
高校を卒業後に行った技術専門校がきっかけですね。進路を決める時、物づくりが好きだったので家具職人に憧れてたんですよ。母親の知り合いが、「こんな学校があるみたいよ」と、パンフレットを持ってきてくれて。それが長野の木曽上松にある技術専門校でした。そこで製図を書いたり、施工したりインテリアに関する職人を育てるための授業みたいなのを毎日受けていたんですよ。当時は看板じゃなく、カーペットや床を貼ったり、壁のクロス貼ったりを実践で学んでいました。
 

 
ー面白そう!卒業後はどうされたんですか?
 
卒業後は地元に戻りたかったんですよね。だから就職先もすぐには見つからず、地元に帰ってから3年くらいフリーターをしていました。そこでいろんな種類の職業を経験して、自分の向き不向きも学んだ感じです。接客は本当に苦手で、裏方の仕事の方が好きでしたね。
 

 
看板を「書く」という職業が絶滅の危機!
 
ー看板屋さんで働こう!と思ったのはどうしてですか?
 
もともと趣味で、文字を書いたりしていたんですよ。友達に頼まれて文字のペイントをしたりもしていて、そういうのもあったので看板屋さんに活かせるかなと思ってですね。
就職した看板屋さんで、筆を持って看板が書けるかなと期待していたんですが、時代の流れ的にちょうど自分が就職した時は、「書く」という仕事が、ほぼ絶滅してしまってることに働き始めてから気づきました。ちょうど手書きからカッティングシートに切り替わっている時代だったんです。コンピューターで印刷されてシールとして出来上がってくる文字を綺麗に貼る感じで。
仕事内容として文字を書いたりするのはゼロに等しく、自分で書いたりするような仕事は滅多になかったので、そんな仕事が来ると嬉しくなっちゃいましたね。
 

 

 
自分のいた会社だけじゃなく、他の看板屋もそういった時代の流れになってきていたと思います。2000年くらいですかね。ずっと仕事を続けているうちにカッティングシートが味気なく感じだしていて、だんだんと独立したい気持ちが湧いてくるようになりました。
物づくりや制作すること自体は楽しいんですけど、でもやっぱりどこかお客様と直接触れ合うこともしてみたいし、「自分の仕事はどうだったんだろう?」とか感想も気になったりして。
 

 
ー独立するときは最初から犬山が候補だったんですか?
 
はじめは別の地域でも探していたんですけど、なかなか見つからなくて。
この場所を見つけて、自分が子供の頃から通っていた馴染みのある商店街だったから、この辺りの雰囲気もよくわかっていました。高校の時から、何か商売をやりたいとぼんやり思い描いていて、商売をするなら地元がいいと思っていたな、ということも思い出したりして、今の場所でやるのもいいなと思えたんですよね。あと俊くん(星月夜の加藤さん)が自分がここに入る1年前くらいに、近くでお店を立ち上げる準備をしていて、お互い知らない者同士だったんですけど、「すごいかっこいいですけど、なにができるんですか?」なんて話をしたりして。
こんな素敵な人たちがいる場所なら、地元の犬山でやってみるのもいいな!と思って。
 

 
ー8年前に犬山のここで事務所を構えて始めた当初はどうでしたか?
 
独立した直後は全然仕事がなくって、営業の仕方もよく分からなくて、1ヶ月何もできないような時もありました。その頃ちょうどFacebookが流行り始めた時で、自分も始めてみたところ反響が割とあって。ちょこちょこFacebookから看板の仕事の依頼が来るようになったんです。
Instagramもその後で始めて、切り替えてみたところそっちの方が反響は大きくて、そこから広まって仕事が増えていった感じですね。営業が苦手な自分にとっては、すごいありがたいツールだったな。人のつながりもできたし。
もし自分の独立のタイミングがそういったSNSの出る時期とずれていたら、今頃どうなっていたんだろうと思いますね。
 

 
お客様と同じ熱量になるまですり合わせることを大切に。
 
ー今では村松さんに看板を作ってもらいたくて、全国からわざわざ皆さんいらっしゃるじゃないですか!すごいことだと思います。デザインはどうやって決めていくのでしょうか?
 
アーティストではないので0から好きに作るわけではないんですよ。お客様との打ち合わせの中で、人となりやバックボーン、どんなカルチャーが好きかなど、その人のことや作りたい店の雰囲気を知っていき、デザインを考えていきます。なので打ち合わせが本当に重要です。知らない人の看板を作るわけですからね、友人に頼まれたものを作るのですら難しいので、バシッとお客様と思いが通じるというか、熱量が同じになるまで、すり合わせていくことに時間は一番かけます。
 

 
ーNAOT AICHIのショップサインも作ってくださいましたよね。
 
そうでした!俊くんが間に入って一緒に考えてくれましたね。
当初はペイントしようかというとも話していたんですが、最終的には壁と同じ白色で立体感のあるアルポリックという素材を使いました。ペイントだとハンドメイド感がでるし、色を付ける必要が出てくるんだけど、文字を立体的にすることで色をつけなくても陰影で自然に文字が目に入る。結局、NAOTには自然な感じで色をつけずにシンプルに仕上げました。
 

 
ーすっきりとシンプルで、とても気に入っています。
 
そのときは、はじめ「別に看板いらないじゃん」って言ってたくらいだけど(笑)、「いやいるでしょ!」って俊くんにつっこまれた。正直自分の中でこの店には看板いらないかも?と思う時も多々あって。お客様に大きくバーンと看板をつくりたいと言われても、断る提案をする時もあります。
 
その場所や街全体の雰囲気や景観も一緒に考えているんです。街づくりも含めての看板なんですよね。ちょっとこの看板は風景にはそぐわないかもなと思うと、そう言っちゃいますね。
 
ー看板屋さんの方から、看板をつけない提案もあるんですね。
 
そこで儲けようと思ったら、どんな看板でも受けることもできるけど、のちのちプラスにはならないですよね。あとで「誰が作った看板なの?」って言われても恥ずかしくないように、ブランディングのひとつみたいなことです。
なんでもかんでもそのまま受けるんじゃなくて断るのも提案の一つだし、より良くなるような提案をする。それが「やっぱりSunnynapに頼んでよかった」に繋がればと思っています。
 

 
なので受ける仕事も、外につける看板というよりかは、店内の装飾の一部として使うサインが多いですね。街の外観とかを気にしない場所なら外の看板も気にせず作れるんですけど、閑静な住宅街にお店構える場合もあるじゃないですか。そこで「大きな看板をバーンとつくりたい!」と言われても「いやちょっと違うんですよー!」って思います。
そういう時は看板をなくして表札程度にするか、店内にあってもいいかなと思えたら装飾みたいなサインを提案します。もちろんあえて大きい看板を出す方が効果的な場所もあるんですけどね。看板をつけることでいい方向に人の流れが変わるときもありますし。ちょっと薄暗い通りだった場所が、素敵なお店の看板ができて明かりもついて賑やかになったり、雰囲気が明るくなって安心する場所になってくれたりね。
 

 
看板は建築物と同じくらい景観に気を遣う。
 
ー村松さんが看板作りで意識されてるのも、そういうところですか?
 
はい。看板・標式・広告は、建築物と同じくらい景観に気を遣うべきだと思いますね。
建物立てる時は、やっぱり街の景観を考えながら作っていくじゃないですか。
それと同じで看板という小さいものであっても、店主さんには、景観も大事にして、街の雰囲気や周りとのバランスも考えてみて欲しいかなと思います。良いお店であれば、看板なんかなくったってお客様はちゃんと来ますからね。
 

 
そうやって意識して店作りを考えていけば、街の景観もよくなっていくし、そうすると、そこを訪れる人もかわる。そういう意味でいい街に変えていける。乱暴な言い方だけど訪れる人の質も変わってくるんじゃないかと思います。だから、自分の街に誇りをもてるような店作りに看板屋として関われたらいいですよね。
 
ー8年間でこの犬山あたりはどうですか?
 
徐々にクリエーターの方々やお店さんが集まってきてきてますよね。
タカラヤビルやよきやビルもそうですし。これからも少しずつ増えたらいいなと思っています。
 

 
ー看板屋、やってて良かったなって思います?
 
毎日めっちゃ楽しいですよ!

 
ーどういうときやっててよかったな、と思うんですか?
 
看板を作ってる時ももちろん楽しいけど、独立して良かったと思うのは時間を自由に使えることですかね。お店を営業しているわけではないので、ずっと同じ場所に居続けなくてもいいわけで、昼寝したいなと思ったら昼寝できますからね。
それに看板屋は夢がありますよ。今まで知り合うことがなかったような作家さんやプロジェクトを立ち上げあげる方々と、一緒に仕事ができたり、知り合ったりできるのは本当に楽しいです。
 
ーSunnynapの名前の由来にもつながってますね。
 
そう、昼寝という意味で、せっかく独立するんだったら、それくらいの余裕が欲しいと思っていて。
あと自分の見た目とのギャップも考えたりしましたよね。ちょっとゆるい感じにしたいなとか。

 
ー話は変わりますが、NAOTを買ってくれたきっかけは?
 
NAOTの存在自体は、よきやビルにNAOTの店ができることがわかってから、初めて知りました。俊くんから聞いて、「僕も履いてるんだよ」ってサボを見せてもらって「いい感じの靴っすね!」となった気がする。でもサボは自分の履くスタイルとはちょっと違うな〜なんて思いながらも、店に見に行ってみて、この靴(WISDOM)だったら、現場でもガンガン履けそうだしと思って選びました。
 

△村松さんのWISDOM Black
 
ーどんな時に履いてますか?
 
WISDOMは自分のもっている服にほとんど合うし、現場に行く時も、お客様と打ち合わせするときも使えてます。あとは、「いい靴ですね!」って言われたいときとか…(笑)
 

 
ー言われたことありますか?(笑)
 
いやぁ、それがないですね。(ちょっと間をおいて)あ、あるある!
前に行っていた現場に有名な作家さんがいて、「その靴いいじゃん!」ってその方に言ってもらいました!買ったばっかりで真新しさもあって目に止まったのかも。そこから大きく話は広げられなかったですけど(笑)
 

 
ー村松さんのように現場で仕事をしている方が、NAOTをガシガシ履いてくれてるのが嬉しいです。NAOTの靴も役に立ってるんだ!というのと、働く中でてくる経年の風合いは、やっぱり格好いいので、その靴をみた別の人がいいな、と思って靴が人を繋げてくれる可能性もあるなって思うんですよね。
 

 
NAOTの靴が一人でに営業してくれてるわけですね。靴とはいえ、NAOTの靴は営業マンみたいですね。そう思うと、NAOTの靴は看板みたいなものですよ。そういう人が使ってるところを見ることができるアイテムっていいですね。
 

 
ー村松さん、貴重なお時間をありがとうございました!
 
 
 
編集:牧
 
 
 
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