ものすごい愛さんのエッセイ、第9話。
多くの人が、この1年で感じられたことかもしれません。
ひとりひとりがいてくれるから、街があるんだなあ。
今回も楽しんで、どうぞ。
一応、薬剤師の国家資格を持っている。
とはいえ、薬剤師として立派に働いていると胸を張って言えるかと問われれば、少し目を逸らしてしまう。
学費がバカ高い私大薬学部に進学して、実家の経済状況は火の車。
留年と国試浪人を経験したため、通常は6年間で済むところ、8年もかかって資格を取得した。
親に苦労をかけ、プレッシャーに押しつぶされそうになりながらなんとか合格したにもかかわらず、現在はなかなかちゃらんぽらんな生活を送っている。
「せっかく薬剤師になれたのに。親が泣くぞ」とたまに言われるが、わたしもそう思う。
大学を卒業したわたしは、新卒でドラッグストアに就職した。
そこで正社員として数年働いたのちに辞め、自分でもよくわからないままにエッセイストに転身すると同時に、なぜかレストランのホールスタッフのアルバイトを始めた。
エッセイを何冊か出版したあとは暇を持て余し、調剤薬局に勤めたものの、先日の緊急入院と緊急手術のどさくさに紛れて退職。
現在は庭の木を切ったりブロック塀をセメントで補修したり犬の散歩をしたりなどの謎な仕事をしつつ、細々とエッセイやコラムの原稿を書いている。
要するに、現在は薬剤師とは関係のない仕事をして暮らしているのだ。
改めて薬剤師としての経歴を振り返ってみても、自分の薬剤師人生はキャリアと無縁であることがわかる。
にもかかわらず、薬剤師というだけで「すごい! 頭いいんだね!」と褒めてくれる人も中にはいるため、そのたびに「いやいや、あっしなんて……」とつい申し訳なさが先立つ。
もちろん、薬剤師として勤めている以上は責務を果たしていた自負があるし、勉強だってしていた。
でも他の薬剤師と比較するとわたしの経歴はかなり異質だし、時には病院や薬局に勤めている人から見下されることもあった。
他人と比較して情けなさを感じているわけでも卑屈になっているわけでもないし、このちゃらんぽらんな人生なりに得られた幸せもたしかにあった。
ただ、感謝されたり尊敬されたことは、ほとんどなかったように思う。
そもそも薬剤師は医師や看護師に比べると感謝される機会が少ないのも事実だ。
たまに切なさを覚えることもあるが、こればかりは仕方がない。だってわたしはそういう人生を選択したのだからと、受け入れるほかないのである。
今年の夏の初め頃、コロナのワクチン事業が始まった。
全国各地に大規模接種会場が設けられ、多くの医療従事者が本業の傍らそれに携わることになった。
もちろん、わたしも例外ではない。
むしろわたしのような暇を持て余している資格者ほど都合のいい存在はいないだろう。
これまでさほど医療現場に貢献していない身ながら、数か月の間わたしはひたすらにシリンジにワクチンを充填し続ける日々を送ることになった。
出口の見えない長く続くコロナ禍で、つらい思いをしている人は多い。
特に、飲食業界はとても苦しい状況が続いているだろうし、矢面に立たされる場面も少なくないだろう。
支援もままならない中、家族や従業員を抱え、誇りである仕事も満足にできない日々。
経営が厳しい。でも仕方のないことだと受け入れるしかない。そんな風に割り切ったつもりで、もがき苦しみながらもなんとか踏ん張って耐えている人たちの声がよく耳に入ってくる。
当たり前だが、わたしももうずっと長い間外でお酒を飲んでいなかった。
コロナ禍になる前は、よくススキノで飲み歩いたものだ。
飲み過ぎて痛い目に遭ったり、二日酔いで苦しんだことは数えきれないほどある。
治安がいいとか、綺麗な街並みだとは到底言えないのかもしれない。
それでも、ススキノで飲んでいる人はススキノが大好きで、彼らなりに街を守っているようにも見えた。
あの雑多で誰にも責任を押し付けない空気が漂い、カッコ悪くてロマンチックさの欠片も感じられないのに不思議とドラマがあるのが、みんな好きなのだと思う。
仕事でむしゃくしゃした日の帰り道、久しぶりに地元に戻ってきた友達と会うとき、うれしいことが会って報告したいとき、知らない人の無責任な言葉を聞きたくなったとき、お酒を飲むために札幌市民はススキノに繰り出していた。
たまたま仕事帰りにススキノを通りがかったとき、あまりの人通りの少なさに「仕方がないよね」と思いつつ、どこか切なさを感じたのはきっとわたしだけではないだろう。
ススキノに店を構える友人たちをはじめ、飲食業界の人たちの心情を想像すると胸が痛む。
友人の「苦しいよ、もちろん。でもまあ今は仕方ないよ。この店が好きで来てくれる人たちがたくさんいるから、その人たちためにもなんとか耐えないとね」という言葉が、今も耳に残っている。
曲がりなりにも医療従事者ではあったし、状況と自分の価値観を照らし合わせてみても、わたしにできることはせいぜい近くに立ち寄ったときに短時間でランチをかき込むか、たまにテイクアウトをする程度。
帰り際、「落ち着いたら飲みに来ますね!」としか言えないのが、ずっともどかしかった。
ワクチン事業が進み、接種率が上がったことも一つの要因となり、徐々にではあるが感染者数が減っている。
それに伴い10月に入ってからは緊急事態宣言が解除され、時短営業が終了し、酒類の提供ができるようになった。
まだまだ予断は許されない状況ではあるものの、一応外での飲酒が解禁されたのは、現状を憂いていた人たちにとって喜ばしいことだろう。
それとほぼ同時期に、わたしの長きに渡るワクチンとにらめっこする日々も終わりを迎えた。
また、元通りのちゃらんぽらんな生活が始まるのだ。
先日、久しぶりに外で酒を飲んだ。
場所はススキノ、「炭火焼 若武者」というわたしが愛してやまない焼き鳥屋である。
暖簾をくぐり、店主の「ワクチン事業、お疲れ様でした。大変だったでしょう」という労いりの言葉に「いやー肩と目がバッキバキですね」と笑いながら返す。
焼き立てのレバー、ササミ、ハツ、牛つくね、ラム皮、豚串を次々と平らげ、キンキンに冷えたレモンサワーを呷る。
そう、これだよこれ。堪んねぇなぁ。もし鶏に生まれ変わったら絶対にここで捌いて焼いてもらおう。
そう願わずにはいられないくらい焼き鳥はおいしく、久しぶりの酒が骨身に染みる。
みんなこの一瞬の解放感をずっと待ち望んでいたのかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
久しぶりの時間を楽しみ、お会計を済ませてほろ酔い気分で店を出る。
見送りのために店の外まで出てきてくれた店主に「いやぁ、ようやっとここに飲みに来られましたよ~」と弾んだ声で話しかけると、彼女はわたしに向かって深々と頭を下げた。
「あなたを始め、医療従事者の方たちが尽力してくださったお陰でススキノの未来が少しずつ明るくなっていっています。ほんとうに、ありがとうございます」
まさか、こんな風に感謝されるなんて。
薬剤師として社会に貢献したいという気持ちが全くなかったわけではないが、それほど大きく掲げていたわけでもない。
自分の一挙手一投足が世のため人のためになっているなんて、考えたこともなかった。
わたしは、そんなに立派な人間なんかじゃない。
不意打ちの感謝の言葉に、胸がいっぱいになり込み上げてくるものを感じる。
みんな苦しいし、みんな頑張っているし、みんな偉い。
それぞれが置かれた環境の中で、自分にできることをやる。
こんなにも意味のわからない状況が続いているのだから、それでいいと思う。
わたしは、薬剤師として多くの人に評価されなくたっていい。
彼女が「いつかコロナ禍になる前のように、自分が焼いた焼き鳥を食べてお酒を楽しく飲んでくれるお客さんで店がいっぱいになってほしい」と願い、前を向いて一歩一歩明るい未来に向かって進んでいるように、わたしもそんな自分でありたいと、心から思う。
△撮影:ものすごい愛

ものすごい愛
1990年生まれ。札幌市在住。エッセイスト・薬剤師。さまざまWEBメディアにエッセイ・コラムを寄稿。結婚をテーマにしたエッセイ『今日もふたり、スキップで ~結婚って“なんかいい”』(大和書房)をはじめ、『命に過ぎたる愛なし ~女の子のための恋愛相談』(内外出版社)、『ものすごい愛のものすごい愛し方、ものすごい愛され方』(KADOKAWA)が好評発売中。回転寿司では最初と最後にアジを食べる。
次回 12月下旬公開予定
どうぞお楽しみに。