ものすごい愛さんのエッセイ、第10話。
みなさん、「家出」ってしたことありますか?
わーん!って泣きながら、裸足で飛び出すとか。
ものすごい愛さんの、新しい家出のスタイル。
いつかの参考になるかもしれません。
先日、我が家で夫婦喧嘩が勃発した。
夫と出会ってかれこれ7年になるが、これまで喧嘩らしい喧嘩はしたことがなかったので初めてのことである。
それに伴い、わたしは家出というものを初めてやってみたのだ。
ちなみに「夫婦喧嘩は犬も食わない」ということわざ通り、すでにすっかり仲直りしているし、喧嘩が原因で夫婦仲がどうこうなることもなかったので、心配には及ばない。
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いつもなら大抵のことは寝て起きたら忘れているのに、その日のわたしは違った。
前の晩に軽い口喧嘩になったのだが、夫に対する怒りがくすぶったままで、それは朝になっても鎮火していなかったのだ。
虫の居所は最悪だった。
いつもと違うことに気づいていない夫が、何の気なしに話しかけてきたのにもまた腹が立った。
「なに、まだムスムスしてるの」という呆れを孕んだ言葉が着火剤となり、わたしは怒りは爆発した。
言葉を選ぶ余裕はなく、容赦なく溜まりに溜まった不満を散々ぶつけたあと、「もう!!! なんっにもわかってない!!!」と言い捨て、寝室へと駆け込んだ。
ベッドに突っ伏し、シクシクでもメソメソでもなくまるで「こんなにも悲しんでますよ」と、追いかけて来ない夫にアピールするかのようにウォンウォンと大きな泣き声を上げた。
ひとしきり悲劇を装って満足してから、ふとあることを思いついた。
「そうだ、家出をしよう」
わたしは生まれてこの方、家出というものをしたことがない。
大人に反発しがちな思春期ですら、どんなに親への反抗心が芽生えても家を飛び出す勇気はなかった。
家出……なんとなく甘美な響きに感じる。
家出を一度も経験していないなんて、ちょっとダサイ気すらしてきた。
これはなかなかいい機会なのではないか……?
さっきまでの怒りとかなしみが嘘のように、少しワクワクしてきた。
妙な高揚感からか、涙はとっくに止まっている。
そうと決まれば、まずは準備をしなくては。
勢いよく飛び起き、シャワーを浴びる。
どこへ行っても恥ずかしくない服に着替え、着ていた寝巻きと一緒に、溜め込んでいた汚れものを洗濯機に放り込んでスイッチを入れる。
はやる気持ちを抑えながら髪の毛を乾かし、いつもより念入りに化粧を施す。
持って行くものは、財布、スマホ、家の鍵、ノートパソコン、ポータブル充電器、エコバッグ。
準備を抜かりなく済ませ、「ちょっと出るから」と最低限の言葉を残して家を出た。
電車に乗って街へと繰り出し、まず最初によく行く喫茶店に入る。
いつもならアメリカンコーヒーを頼むだけだが、今日のわたしは一味違う。
なんてったって初めての家出中なのだ。自分の機嫌を取らねばならないので、チョコレートパフェも頼んでいい。
運ばれてきた大きなパフェを堪能しながら、このあとの予定を考える。
一応パソコンを持ってはきたが、家出のときに原稿を書くのはなんとなく野暮な気がする。……というか、そんな気分にならない。
家出の王道と言えば、実家に帰るか、仲の良い友達の家に転がり込むか。
実家……は微妙に遠いので正直なところ面倒くさい。
となれば、近所に住んでいる友達に甘えさせてもらうほかないと連絡をしてみた。
「ねぇ、家出した。遊びに行っていい?」
「は?! どういうこと?! 大丈夫!!?」
「あっ強がりとかじゃなくてマジで全然大丈夫~」
「家出でしょ? もしかして着の身着のまま飛び出したとか!? 寒くない?!」
「シャワー浴びて化粧して着替えてから出たから平気!」
「なんか私の知ってる家出と違うな……? まあいいや、とりあえず仕事終わって21時くらいでもいいならおいで!」
「助かる~」
家出先の確保ができたところで、お会計を済ませて店を出た。
次の目的地は、お気に入りの服屋だ。
店内を軽く見渡し、気になって手に取った洋服を鏡の前で合わせ、サイズがおおよそ問題ないこと、自分の好みにドンピシャであることを確認し、一直線にレジへと持って行く。
いつもなら「持ってる服と合うかな?」「なんか似たようなやつ持ってなかったっけ?」などと逡巡する時間があるが、今日は違う。
なんてったってわたしは家出中なのだ。服の一枚や二枚、好きに買ったって誰にも咎められないだろう。
こちとら傷心中だぞ! お前たち! 道をあけなさい! と言わんばかりに胸を張ってカードを切った。
その後、あてもなく街中をぶらぶら歩きまわり、ウィンドウショッピングなるものを満喫した。
あらかた満足したところで書店に寄り、集めている漫画の新刊を買ったあと、さすがに足に疲労を感じたため帰りの電車に乗り込んだ。
電車に揺られながら、翌日の朝ごはん用の卵がないことを思い出す。
そうだ、スーパーに寄ろう。さすがわたし、エコバッグを持ってきて大正解だった。
こんな非常事態ですら冷静に行動できていることに、自画自賛せずにはいられない。
近所のスーパーで、卵以外にもあれこれ食材を買い込み、大荷物で帰宅すると夫が笑顔で出迎えてくれた。
「重たかったでしょ、ありがとうね」という労わりの言葉に、「うん、冷蔵庫空っぽだったから」とそっけなく返す。
忘れてくれるなよ。わたしはまだ怒っているし、今だって家出は継続中なんだから。
ただ、冷蔵庫の中の作り置きしておいた常備菜がそろそろ危ないので、あたためて夫に出してやる。
勘違いしないでほしい。別にあなたのためにやっているわけではない。ただ単純に、冷蔵庫の中を整理したいから、そのついでに過ぎない。
あからさまな不機嫌アピールをし続けることに妙な気恥ずかしさを覚え、気まずさから浴室に逃げ込んだ。
シャワーを浴び、洗濯乾燥機から寝巻きを取り出すと、乾燥が終わって間もないのかまだあたたかい。
家出をする前にスイッチを押しておいてよかった。清潔でほかほかの寝巻きが家出中の身をやさしく包み込んでくれているようだ。
ベッドに横たわり、買ってきた漫画の新刊を読んでいると、家出先として受け入れてくれた友達から「遅くなってごめん! ずっと待ってたよね! もういつ来てもいいよ!」と連絡がきた。
「お疲れ! 今から行くね」と返信し、寝巻きの上からダウンを羽織って家を出た。
さて、家出の続きだ。
道すがらコンビニでチューハイを数缶と酒のツマミになりそうなものを買い、歩いて10分ほどのところにある友達の家、もとい家出先へと向かう。
チャイムを鳴らすと、すぐに玄関のドアが開いた。
まだほのかに髪の毛が濡れており、スッピンで寝間着にダウンを羽織っただけの姿を目にした友達が、「家出中の人間がシャワーを浴びてから来るなよ」と笑みを含んだ声で出迎えてくれた。
「なに、喧嘩したの」
「うん」
「珍しい、もしかして初めてじゃない?」
「初めてだね」
「ってことは家出も?」
「初めてだよ」
「やっぱり、だって家出が下手くそすぎるもん」
勝手知ったるようにくつろぎながら、今日一日の流れを説明する。
身支度を整え、家事を済ませてから家を出たこと。喫茶店でチョコレートパフェを食べたこと。洋服と漫画の新刊を買ったこと。帰り道に近所のスーパーで食材の買い出しをしたこと。シャワーを浴びて漫画を読んで家出の第二陣に備えていたこと。今も現在進行形で家出中であること。
「ねぇ、家出ってもっと衝動的にやるもんなんじゃないの? 知ってる家出と違うんだけど」
「冷静かつ合理的なうえに、めちゃくちゃ満喫してんじゃん」
「あんたのはね、家出じゃなくてただの充実した休日!」
カラカラ笑いながら彼女が入れる合いの手に、「まあ、実際のところそうなんだよね」と認めざるを得ない。
夫に対して怒っているのも、大変な事態なんだと重く受け止めてほしいのも事実ではあるが、家出だなんだと言いつつ、好き放題に自分を甘やかす大義名分がほしかったのは否定しきれない。
それでもわたしはいい大人だから、きわめて冷静である。
大泣きをしてヒステリーを起こしたのだって、自分のスケジュールを頭の中で確認し、夫の体調と仕事の忙しさを考慮したうえで、「今の状況ならたとえ大喧嘩をしてイレギュラーなことが起こっても大丈夫だな」と沸騰した頭の片隅で冷静な判断を下していた。
こんな風に夜に家出の続きができているのも、明日が休みだと知っていたからである。
2時間ほどお酒を飲みながら話し込み、あらかた満足したところで「じゃあ、自分のベッドで寝たいから帰るね」と立ち上がると、「いや、それも家出中の人間が言うセリフじゃないから」と笑いながら突っ込まれた。
帰り際にかけられた「たぶんすぐ仲直りできると思う」という彼女の言葉に、「わたしもそう思う」と返し、家出先をあとにした。
家路につくわたしの足取りは、いたっていつも通りだ。
沈むように重たいわけでも、怒りで一歩が大きいわけでもない。
ただ、充実した一日を過ごして満足しつつも、ちょっとだけ歩き疲れが出ている人間の足取りである。
冷静かつ充実した大人の家出。思いのほか家出が楽しいことを知れたので、いつか起こるかもしれない夫婦喧嘩のときは、また同じことをやってやろうと思う。

ものすごい愛
1990年生まれ。札幌市在住。エッセイスト・薬剤師。さまざまWEBメディアにエッセイ・コラムを寄稿。結婚をテーマにしたエッセイ『今日もふたり、スキップで ~結婚って“なんかいい”』(大和書房)をはじめ、『命に過ぎたる愛なし ~女の子のための恋愛相談』(内外出版社)、『ものすごい愛のものすごい愛し方、ものすごい愛され方』(KADOKAWA)が好評発売中。回転寿司では最初と最後にアジを食べる。
次回 1月下旬公開予定
どうぞお楽しみに。