ものすごい愛さんのエッセイ、第11話。
長かった冬ももうすぐ終わり。やっと暖かくなるなあ、と希望を持ちたいこのごろですが、
どうしても、今までにないような疲れを抱えてしまっている人も、少なくないんじゃないでしょうか。
そういうときの、過ごし方。
大きなお湯にザブンと浸かるのは、得策かもしれません。
あなたもこんな時間を過ごせますように。
あぁ、ずっと疲れている。
楽しく自由にやっているつもりだが、なんだかんだ毎日忙しくしているせいだろうか。
寒さで体が縮こまっているからか、肩はバキバキに凝っているし心なしか頭も重たい気がする。
薬剤師とエッセイストという職業画家、長時間座って目を酷使しているのも原因のひとつかもしれない。
それほど休まずとも動けていた若い頃と違って、今はもう無理の聞かない年齢に差し掛かったのだろうか。
今年、わたしは32歳になる。
もう自分との付き合いも32年になるわけだから、自分の体力の限界も、自分の機嫌の取り方もなかなか熟知していると思う。
「あっこれは休まないとダメだ」「今これ以上頑張ってもいい結果にはならないな」と早い段階で察知して、時には締め切りの差し迫った原稿が立ちはだかっていようが、汚れた食器が大量に流し台に積み上がっていようが、さっさと布団に潜り込む。
時には湯船に浸かりながらアイスを食べてやったり、なんのイベントでもない日に寿司を食べたり、気になっていた漫画を新刊で大人買いしたりもする。
生活に不満は何一つない。毎日よく食べて、よく寝て、そこそこ趣味に勤しんで、しっかり休んでいる。
それなのに、最近のわたしはどうもおかしい。
仕事で上司と話していても、相手の言葉は耳をすり抜け、頭の奥のほうでは全く別のことを考えている。
でも、その別のことはなんにも覚えていないのだ。
原稿を目の前にしても、脳が動かなくて言葉が出てこない。
ふとした瞬間に過去の自分の軽率な発言を思い出して「うぎゃあ」と叫び出しそうになる。
友達からの連絡も、気力がわかなくてまともに返せない。
なんとなく心がずっと落ち着かなくて、思考の呼吸が浅い日々が続いている。
お腹の奥のほうで黒くて重たい球体が自分の存在を主張しているようだ。
お酒を飲みながらバラエティー番組を観ても、びっくりドンキーで豪遊しても、ていねいに淹れたコーヒーを飲みながら素敵なシュトーレンを食べても、どうしたって濃い靄は晴れない。
あれ、わたしっていつもどうやってMPを回復していたんだっけ?
息苦しさを感じながらも、目の前のタスクを消費するだけの日々を2ヶ月ほど送っていたある日、見兼ねた夫にある提案をされた。
「大きいお風呂につかって、なにも考えない時間を過ごしたほうがいい」
そう言われて連れていかれたのは、定山渓。家から車で1時間ほどのところにある温泉街だ。
家を出る直前、「もしかしたら原稿を書く時間があるかもしれないし、念のため……」とパソコンを鞄に入れたあたり、ここ最近のMPの減少具合がよくわかる。
iPadから流れる深夜ラジオを聴きながら、車に揺られているとあっという間に目的地に到着した。
温泉街の雪景色が一望できる足湯に浸かり、熱いコーヒーを飲んだ。
座っているだけで次々と運ばれてくる料理に舌鼓を打った。
パリッとした布団の上に浴衣姿で寝転がり、リモコンでテレビ番組をザッピングした。
上げ膳据え膳で何もしない時間を過ごし、HPがぐんぐん回復していくのを肌で感じるものの、ふとした瞬間にまた息苦しい日常に戻ったときのことを想像してしまい、少しだけ憂鬱な気分になる。
また、当たり障りのない会話にまみれ、くすぶる自意識を見て見ぬ振りをする日々が始まるのだ。
とはいえせっかく温泉に来たのだから満喫はしておこうと、寝る前のひと風呂を浴びに浴場へと向かった。
浴衣を脱ぎ、真っ先に露天風呂へと向かう。
外気と湯の温度差であたりは湯気が立ち込め、足元は何も見えない。
震える体をあたためるため、一気に肩まで浸かる。
両手で湯を弄びながらぼーっと真っ暗な空を眺めていると、若い女性と思しき声が聞こえてきた。
静かに湯に入ってくるものの、さすがに3人の体積ともなると一気にかさが増して水面がざっぷんと大きく揺れる。
「ねぇ、やばいんだけど」
「わかる、やばいよね」
「やばい超楽しい」
声の高さや話している内容、「やばい」という単語ひとつで意思疎通できているところから、おそらく20代前半だろう。
まわりの迷惑にならないように、テンションを抑えて小さくはしゃいでいるのがまたかわいらしい。
盗み聞きしているつもりはないが、高く弾む声が心地よく耳に入ってくる。
「ねぇ、今日のこれでどれくらい頑張れそう?」
「え~半年……?」
「半年とか無理なんだけど、ギリ3か月でしょ」
「わかる、3か月がギリだよね」
「正直言うと、2か月だね」
「ほんとそれ」
「正解すぎる」
毎日仕事が忙しかったり、コロナ禍での自粛だったりで、久しぶりの友達との旅行なのだろうか。
今日の“リフレッシュ貯金”によって、これからどれくらい頑張れるかを話している。
「こんなに楽しいのにさぁ、年一ペースでしかこうやってできないとか無理なんだけど」
「わかる、こういうのないと無理だよね」
「仕事しんどいもん~ストレスやばいし」
「ねぇ、再来月くらいにもう一回来ない?」
「えっ来よ! シフトの休み希望まだ全然出せる!」
「わたし有休取っちゃおっかな!」
次の予定を楽しそうに立てている彼女たちの会話で、思わず目からウロコが落ちたように感じた。
あーこれだ、わたしに足りていなかったものは。
MPの回復に必要なのは、気の置けない友達との時間だ。
行ったり来たりする話題。昔の恥ずかしい思い出話。仕事の愚痴への共感。お互いに興味がない推しの話。
聞いているんだか聞いていないんだかわからないまま、好き勝手に肩の力を抜いておしゃべりがしたい。
わたしたちにしかわからない話で、息ができなくなるくらいゲラゲラ笑って、「あーもう無理、お腹痛い」って涙を流したい。
盛り上がっている彼女たちの邪魔をしないように、静かにその場をあとにした。
雑に身体の水分を拭き取り、濡れた髪のまま部屋に戻るエレベーターの中で「ねぇ、そろそろ会ったほうがよくない?」と仲良しの友人たちとつくったLINEグループにメッセージを送った。
すぐさま既読がつき、「えっ会おうよ」「いつ暇? わたしいつでもいいんだけど」「たしかに、シフト出たらソッコー送るわ」と次々と送られてくる返信と見ただけで、少しだけ頭の中の靄が薄くなったような気がした。
△撮影:ものすごい愛

ものすごい愛
1990年生まれ。札幌市在住。エッセイスト・薬剤師。さまざまWEBメディアにエッセイ・コラムを寄稿。結婚をテーマにしたエッセイ『今日もふたり、スキップで ~結婚って“なんかいい”』(大和書房)をはじめ、『命に過ぎたる愛なし ~女の子のための恋愛相談』(内外出版社)、『ものすごい愛のものすごい愛し方、ものすごい愛され方』(KADOKAWA)が好評発売中。回転寿司では最初と最後にアジを食べる。
次回 3月下旬公開予定
どうぞお楽しみに。